大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)5939号 判決 1986年1月30日
原告
大橋京子
ほか一名
被告
林釦株式会社
主文
一 被告は、原告らに対し、各金二五四三万一三六二円及びうち各金二四一八万一三六二円に対する昭和五一年二月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告らに対し、各金三〇〇〇万円及びうち各金二八七五万円に対する昭和五一年二月二四日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生と結果
(一) 事故の発生
(1) 大橋義夫(訴訟承継前の原告、以下「義夫」という)は、昭和五一年二月二四日午後四時二〇分ころ、大阪市鶴見区茨田諸口一三七二番地先の道路(以下「本件事故現場」という)を東から西に向かつて歩行中、後方から同じ方向に進行してきた菅原隆雄(分離前の相被告、以下「菅原」という)が運転する普通貨物自動車(六大阪や一〇・五〇号、以下「加害車」という)に背後から左大腿部の後側に接触された。
(2) 義夫は、加害車に接触されたため、一旦は二、三歩前のめりになつて倒れそうになつたが、前方の障害物を避けようと足を踏んばつた際、履いていた左足のサンダルが脱げて左足をねじつたため、今度は後方にのけぞるような形で倒れ、加害車の右側バツクミラーに後頸部を激突させた結果(なお、激突の直後、義夫は一瞬意識を失いかけたがすぐに戻り、身体をフロントガラスにもたせかけていた。)、後記のとおり受傷した。
義夫が右のような事実経過によつて傷害を受けるに至つたことは、次の事情によつても裏付けられるものである。すなわち、<1>義夫の身長は一六六・五センチメートル、足蹠より第七頸椎までの高さは一三八・五センチメートル、また、加害車のバツクミラーの上端の高さは一二〇センチメートルであつたが、右のような体型の義夫が後ろに倒れた場合、右バツクミラー上端はちようど義夫の後頸部が当たる位置にあることになる。<2>右事故の翌日義夫を診察した三浦玄洋医師は、義夫の頸部の後やや右寄りの部分、すなわち第三、第四頸椎の存在する辺りに、横一・五ないし二センチメートルの筋状の皮下出血斑があることを認め、その旨カルテに記載したが、そのほかに外傷の存在は認めなかつた。
なお、義夫が後方から加害車に接触されながら、前方に倒れないで後方へ倒れている点については、加害車が停止寸前の極めて遅いスピードで進行していたことや義夫がサンダル履きの左足を踏んばつてねじつたことを考慮に入れれば、少しも不自然なことではない。また、加害車の右側バツクミラーに特に損傷はなかつたようであるが、この点も、バツクミラーが方向を変えるために可動式になつており、上から義夫の後頸部による外力が加わつても、その方向がいくらか変わるだけで(実際に事故後向きが変つていた)それによつて外力が吸収されてしまうことから考えれば、何ら異とするに足りない。また、義夫は、後記受傷により局所に循環障害が起こつたすえ意識を失うという経過をたどつたものであり、循環障害が生じるに至るまでの時間は、当然行動することができるものである。
さらに、本件事故については、菅原から警察に対し、交通事故(業務上過失傷害事件)としてではなく、義夫を殴打して傷害を負わせた傷害事件として届出がなされ、かつ、そのような傷害事件として起訴され、有罪判決が確定した事実があるけれども、この点も前記のごとき事実経過の存在を否定する事情とはなりえない。すなわち、義夫が加害車のバツクミラーに後頸部を打ちつけた直後、菅原が気を失いかけている義夫を押すか殴るかしたような事実があつたところ、菅原が本件事故を交通事故としてではなく右暴行による傷害事件として警察に届け出たのは、交通事故であれば菅原の一方的過失により歩行者に対して重大な人身事故を惹起したことになつて弁解の余地はないが、傷害事件ということにすれば、義夫が殴りかかつてきたので反撃したとして正当防衛等の主張をすることにより罪責を免れる可能性もあることを考えてのことである。また、検察官がこれを傷害事件として起訴したのは、本件事故を、停車直前の極めて遅いスピードで加害車が義夫の背中に接触した事故と誤認したことから、それでは義夫の傷害の結果と符合しないので業務上過失傷害事件として起訴することはできないと考え、事実の明瞭な暴行の点のみを取り上げて起訴することとしたからであり、さらに、裁判所が傷害事件として有罪判決をしたのは、公判において検察官、菅原ともに暴行による傷害の事実のみを前提として正当防衛の点で攻防を尽くし、これが業務上過失傷害事件であることを主張する訴訟関係人が全く存在しなかつたからである。
(3) 仮に、加害車が(1)のように接触していないとしても、加害車は、義夫が(2)のような行動を余儀なくされるほど義夫に接近して停止した。
(二) 受傷
義夫は、本件事故により、第三頸椎棘突起骨折、第三頸椎脱臼骨折の傷害を受けた。すなわち、後頸部をバツクミラーの上端に打ちつけた直接の衝撃(直達外力)及びバツクミラーの上端を支点として頸部が生理的限界を超えて後方へ過度に屈曲したこと(過伸展)により第三頸椎棘突起骨折、第三頸椎脱臼骨折の傷害を受けたものである。このことは、頸椎の棘突起骨折や脱臼骨折が、局所に対する直接の衝撃(直達外力)や頸部の過伸展(後屈)によつても起こるものであつて、単に人力で頭をたたかれたり、自動車の車体のような平面な物体に遅いスピードで後方から衝突されたりしたことによる頸部の屈曲(前屈)はその原因とはなりえないとの医学上の知見によつても裏付けられている。
(三) 治療経過
義夫は、右受傷により、昭和五一年二月二五日から同五二年六月三〇日まで四九二日間東大阪病院に入院し、同年七月一日から昭和五六年八月五日まで約四九ケ月間同病院に通院した。
(四) 後遺症
義夫には、右受傷に受づく後遺症として、左上下肢の麻痺、両下肢の筋力が顕著に減退し、起立することも困難で、左下肢長下肢装具をつけ、一本杖を用いても三〇センチメートルくらいの歩行しかできないという程度であり、左上肢全体に知覚が鈍麻し、各指関節の拘縮が強く、右上肢も手指の知覚が鈍麻して手指運動は僅かしかできないといつた諸症状が残存し、右症状は昭和五六年八月五日にようやく固定した。右後遺症により、義夫は、常時他人の介助を必要とし、排尿、排便さえも自力ではできない状態であつた(これは、自賠責後遺障害等級一級に該当する)が、長期間にわたる寝たきりの病床生活により廃用萎縮としての身体各組織の退行変性が生じ、各臓器の機能低下がみられるとともに、精神的ストレスも加わることにより持病である糖尿病が悪化し、かつ、造血器管、腎臓、消化管に病変が生じ、遂に腎出血、消化管出血が起こつて、昭和六〇年七月二四日腎出血、消化管出血が原因となつた心不全により死亡した。
2 責任原因
(一) 被告林釦株式会社(以下「被告会社」という)は、本件事故当時加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条により、後記損害を賠償すべき義務がある。
(二) 仮に、義夫の受傷・後遺症が菅原の運転行為に起因する前記事故によることが明らかでないとしても、菅原は、義夫に加害車を接触させた際、義夫と口論となり、義夫の顔面を殴打したものであるところ、右受傷・後遺症が菅原の右暴行によるものであることもまた明らかではないが、そのいずれかによることは動かしがたい事実であり、ただ義夫の受傷・後遺症についてそのいずれが原因であるかが不明であるにすぎず、しかも右事故と暴行とは場所的・時間的に近接しており関連共同性があるから、被告会社と菅原とは共同不法行為者というべきであり、したがつて、被告会社は民法七一九条一項後段(自賠法三条)により、後記損害を賠償すべき義務を免れない。
3 損害
(一) 義夫の損害
(1) 療養費
<1> 入院費 二二一万四〇〇〇円
義夫は、前期入院期間中(四九二日間)一日四五〇〇円の割合による室料差額金二二一万四〇〇〇円を支払つた。
<2> 入院雑費 二九万五二〇〇円
義夫は、四九二日間入院し、雑費として一日六〇〇円の割合により二九万五二〇〇円を支出した。
<3> 入院付添費 七八万八九六〇円
義夫は、右入院期間中職業付添婦の付添を必要とし、一日五一七〇円、六二七〇円又は六六〇〇円(次第に値上げされたものである。)の割合による付添看護料合計三三二万四三〇〇円を支出したが、このうち二五三万五三四〇円は社会福祉機関から支給されたので、義夫が自己負担して損害を被つたのは七八万八九六〇円となる。
<4> 左長対立装具・カラー代 二万七一〇〇円
義夫は、後遺障害のため左長対立装具(二万二六〇〇円)、カラー(四五〇〇円)の購入を余儀なくされ、計二万七一〇〇円を支出した。
(2) 逸失利益 三七九五万〇七〇二円
義夫(昭和四年一月二日生)は、事故当時四七歳の健康な男子で、当時たまたま無職であつたが、再就職も決つており、本件事故に遭わなければ昭和五一年度賃金センサス男子労働者の年収額三一八万五二〇〇円(学歴計、四五ないし四九歳)と同程度の収入を挙げ得たものであるところ、本件事故に起因する受傷、後遺症及び死亡によりその労働能力を一〇〇パーセント喪失するに至つたものであり、その就労可能年数は六七歳まで二〇年間、生活費は収入の三割(死亡後のみ控除)と考えられるから、年別のホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、その逸失利益の事故時の現価を求めると三七九五万〇七〇二円となる。
(算式)
<1> 事故時(昭和五一年二月二四日)から死亡時(同六〇年七月二四日)
三一八万五二〇〇×七・九四五=二五三〇万六四一四
<2> 死亡時から六七歳まで
三一八万五二〇〇×(一三・六一六-七・九四五)×〇・七=一二六四万四二八八
(3) 慰謝料 一五〇〇万円
本件事故により、義夫は、長期の入通院を余儀なくされた上重篤な後遺障害が残り、それがもとで五六歳の年齢で死亡したものであるところ、受傷、後遺症及び死亡による精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、少なくとも一五〇〇万円とするのが相当である。
(4) 弁護士費用 二五〇万円
義夫は、弁護士に本件訴訟の提起・追行を委任し、その費用及び報酬として二五〇万円の支払を約した。
(二) 相続
原告大橋京子(以下「原告京子」という)は義夫の妻であり、同大橋初都世(以下「原告初都世」という)はその長女であつて、他に義夫の相続人はいないから、原告らは、義夫の死亡に伴い、右(一)の損害賠償請求権(合計五八七七万五九六二円)を法定相続分に従い(それぞれ二分の一である二九三八万七九八一円)相続により取得した。
(三) 原告らの固有の損害(慰謝料) 各二五〇万円
原告らは、義夫の苦痛を目のあたりにしながら、本件事故以来約一〇年間の長期にわたり義夫の介助・看護に努めてきたが、義夫はその甲斐もなく痛憤のうちに本件事故が原因となつて死亡したものであるところ、原告らの義夫の死亡による精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、各二五〇万円を下るものではない。
(四) 損害の填補
義夫及び原告らは、菅原側から、見舞金として一〇万円、入院付添費として四万二〇〇〇円、和解金の一部として四万円の支払を受けたところ、右金員は原告ら各自に対する損害賠償債務にそれぞれ二分の一宛充当された。
4 結論
よつて、原告らは、被告会社に対し、本件損害賠償として、それぞれ右3(二)及び(三)の合計額三一八八万七九八一円から(四)の九万一〇〇〇円を控除した残額三一七九万六九八一円の内金三〇〇〇万円及びこれから弁護士費用相当分を除いた各二八七五万円に対する本件事故の日である昭和五一年二月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の(一)の事実のうち、菅原が、昭和五一年二月二四日午後四時二〇分ころ、加害車を運転して本件事故現場に差し掛かつたことは認めるが、その余の事実及び同1の(二)の事実は否認する。同(三)(四)の事実は知らない。
仮に、義夫に原告ら主張のような受傷・後遺症があつたとしても、これは菅原が、加害車を運転して本件事故現場に差し掛つた際、前方を酒に酔つてふらつきながら歩いている義夫を認め、同人と接触しそうになつたので、その直前で停車し、結局接触するには至らなかつたものであるが、下車して謝ろうとしたところ、いきなり義夫が殴りかかつてきたので、義夫の顔面を殴り返し、そのために義夫がその場に転倒し、加害車の後部フエンダーないしタイヤ付近に後頭部をぶつけたことによるものであつて、義夫が加害車に接触されたためにその後頸部を加害車の右側のバツクミラーに打ちつけたというような事実は全くない。このことは、次の諸点からも明らかである。<1>原告主張のように義夫が後から加害車に接触されたのであれば、前方へ倒れるはずであつて、いかに足を踏んばつたとしても、また、サンダルが脱げて左足をねじつたとしても、前方に倒れるスピードが遅くなることはあつても、後方へ倒れることはない筈であり、その点で原告主張の事実経過は極めて不自然である。<2>身長約一六七センチメートルの義夫が、高さ一二〇センチメートルの加害車のバツクミラーに、地面に倒れることもなく、その後頸部を打ちつけることは物理的にも不可能なことであるし、また、それだけの衝撃を受ければバツクミラーの方に損傷が生ずる筈であるのに、実際には全くそのような損傷は残つていない。<3>義夫が原告ら主張のような態様で受傷したとすれば、その場で即時に意識を失う筈であるところ、実際には、義夫は加害車の窓ガラスをたたいたり、菅原に殴りかかるという行動に出ているのである。更に、<4>義夫は、右のような行動に出た後、本件事故現場において意識を失つたまま倒れてしまつたものであるが、このような意識喪失は、その間に頭部の打撲や損傷があつて初めて生ずるもので、頸部の打撲や脊椎損傷では生じ得ないものである。
これに加えて、<5>菅原は、本件事故後、本件事故現場における出来事を、交通事故としてではなく、より重い刑罰が予想される傷害事件として警察に届け出ているのであつて、検察官も昭和五二年九月九日右事件を傷害被告事件(その公訴事実は菅原が義夫の顔面を殴打して傷害を負わせたというもの)として起訴し、その結果、菅原に対し傷害罪の有罪判決がなされ、既に確定するに至つているのである。<6>なお、原告は、本件事故現場において第三頸椎棘突起骨折、第三頸椎脱臼骨折の傷害を受けたと主張しているが、仮にそのような事実があつたとしても、義夫が菅原に顔面を強打されて転倒し、加害車の車体で後頭部を打つたこととは何ら矛盾するものではない。けだし、右のような骨折は、バツクミラーで後頸部を打つ程度のことでは起こり得ず、むしろ生理的限界を超えて過度に頸部が前方に屈曲(過屈曲)することによつて起こるのがほとんどであり、したがつて、義夫が顔面を殴打されて後方へ転倒し、加害車の車体に後頭部を強く打ちつけて瞬間的に強い衝撃を受けたことにより頸椎棘突起骨折が生じ、かつ、その際頭部が後方から前方に過屈曲し、そのため第三・第四頸椎が脱臼骨折したとみるのが事実の経過として最も自然だからである。また、本件事故現場での出来事があつた日の翌日、義夫を診察した三浦医師が同人の後頸部に内出血があることを認めたという事実があつたとしても、そのことは、義夫の頸椎に棘突起骨折が生じていた以上何ら異とするに足りないことであつて、それによつて義夫が加害車のバツクミラーに後頸部を打ちつけたとの事実が推認されるものでないことはいうまでもない。
これを要するに、本件は、実際は菅原の暴行による傷害事件であるのにもかかわらず、自賠責保険等の保険金の支払を受ける目的で、原告らがことさらに交通事故である旨虚偽の申立をしているものであるにすぎない。
2 請求原因2の(一)の事実は認め、同(二)の事実は否認する。義夫の受傷・後遺症は、前記のとおり菅原の暴行によるものであるから、民法七一九条一項後段が適用される余地はない。
3 請求原因3の事実のうち、同(二)の原告京子が義夫の妻、同初都世がその長女であり、他に義夫の相続人が存在しないことは認め、その余の事実は知らない。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載したとおりであるから、これを引用する。
理由
第一事故の発生
一 請求原因1(一)の事実のうち、菅原が、昭和五一年二月二四日午後四時二〇分ころ、加害車を運転して、大阪市鶴見区茨田諸口一三七二番地先の道路に差し掛かつたことは、当事者間に争いのないところ、原告らは、その直後に義夫が背後から右加害車に接触され、請求原因1(一)の(2)のような経過でその後頸部を加害車の右側バツクミラーに激突させて傷害を受けたと主張し、被告はこれを争うので、まずこの点について検討することとする。
成立に争いのない甲第九号証(原告初都世の司法警察員に対する昭和五一年三月二六日付供述調書)、第一〇、第一一号証(原告京子の検察官事務取扱検察事務官に対する昭和五二年三月二三日付、検察官に対する同年九月八日付各供述調書)、乙第四九号証の一(当庁昭和五二年(わ)第三七〇九号傷害被告事件における義夫の証言速記録)、義夫本人尋問の結果中に、右原告ら主張事実に副う供述及び供述記載(これらを、以下「甲証拠」という)が存在するが、一方、成立に争いのない乙第二六号証(末道一洋の司法警察員に対する昭和五一年三月一九日付供述調書)、第二七、第二八号証(同人の検察官事務取扱検察事務官に対する昭和五一年一一月二五日付及び同年一二月一五日付各供述調書)、第二九ないし第三一号証(菅原の司法巡査及び司法警察員に対する昭和五一年三月一五日付、同月一七日付、四月一五日付各供述調書)、第三三ないし第三五号証(同人の検察官及び検察官事務取扱検察事務官に対する昭和五一年六月二八日付、同年一二月一三日付、昭和五二年八月二六日付各供述調書)、第三八、第三九号証の各二(前同傷害被告事件における末道一洋の証言速記録)、第四二、第四七号証(前同傷害事件における菅原の供述調書)、菅原本人尋問の結果中には、右事実を否定し、加害車が義夫に接触したり、義夫が加害車のバツクミラーに後頸部を打ちつけたりしたような事実はなく、義夫の受けた傷害は、菅原が義夫を殴打して同人をその場に転倒させた際、停車している加害車の後部フエンダー付近に後頭部及び後頸部を打ちつけたことによつて生じたものである旨の供述及び供述記載(これらを以下「乙証拠」という)が存在するのであつて、両者は真向から対立する形となつている。
そこで、右甲、乙いずれの証拠を信用すべきかについて考えるに、前掲甲第九号証、乙第二六ないし第三一号証、第三三ないし第三五号証、第三八、第三九号証の各二、第四二、第四七号証、第四九号証の一、成立に争いのない甲第一二号証、乙第一九号証の一、二、第三七号証の二、検甲第一号証、義夫及び菅原各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、事故発生の前後の事情として、次の事実が認められる。
1 本件事故現場付近の道路は、人家の多い市街地をほぼ東西に通じる直線状で平坦な、歩車道の区別のない幅員約四・五メートルのアスフアルト舗装された道路である。本件道路は最高時速四〇キロメートルに規制されており、事故現場は東西いずれの方向からも見通しは良好であつた。
2 菅原は、昭和五一年二月三日に普通運転免許を取得したばかりであつたが、本件事故当日午後から、加害車に同乗して、友人である被告会社従業員末道一洋(以下「末道」という)が得意先を廻るのに同行し、事故現場南側の田原コンサート事務所に向かう途中、それまで運転していた末道に頼んで加害車の運転を替つてもらつた。こうして、菅原は加害車を運転して、本件道路中央付近を時速約一五キロメートルで西進し、本件事故現場付近に差し掛つた際、自車前方約七・五メートル先に道路の中央より南側寄り(進行方向に対して道路の左側)を西に向かつて並んで歩いている義夫と原告初都世の後姿を認めたが、田原コンサート前路上で停車するつもりであつたことから、やや左にハンドルを切つたものの、警笛を吹鳴することもないまま、約一〇・八メートル進行して停止させた。
3 義夫は、本件事故当時、散髪屋から自宅に戻るべく本件道路の中央より南側寄りを、原告初都世の左側に並んで西に向かつて歩いていたが、朝から昼にかけて飲酒していて酔いが残つていたこともあつて足許が少しふらつき気味であつた。
4 加害車が田原コンサート前に停車した際、(加害車に接触されたかどうかは別として)義夫もまた同所に差し掛つていたが、加害車が停車した直後、義夫が立腹して加害車の運転席の窓ガラスをたたいてこれを下げさせ、「人に当てておいて頭の一つも下げないのか、降りてこい。」等と大声で言いながら、菅原をつかもうとした。そこで菅原が加害車から降りていくと、義夫がいきなり殴りかかつてきたので、憤激して義夫の顔面を左手挙で一回殴打したところ、義夫は崩れるような体勢でその場に倒れ、加害車の右側後部フエンダー辺りで後頭部を打ちつけて気を失つた。
なお、右3の点につき、前記乙第四九号証の一、義夫本人尋問の結果中には、義夫が歩いていたのは本件道路の中央よりも北側部分(進行方向に対して道路の右側)である旨の供述ないし供述記載があるが、甲第一二号証と比較対照して、これを採用することはできない。
さらに、前掲乙第二七号証、成立に争いのない甲第二〇号証、乙第四八号証の一、証人三浦玄洋、同大平隆章、同大石昇平の各証言、鑑定人大石昇平の鑑定の結果によると、次の事実が認められる。
5 義夫は、右出来事の際、第三頸椎棘突起骨折及び第三、第四頸椎間の脱臼骨折の傷害を受けたところ、頸椎の棘突起骨折は、脊椎の全脱臼骨折の一部として発生することが稀でなく、本件受傷も第三頸椎棘突起骨折と第三、第四頸椎間の脱臼骨折とが併存している。
6 頸椎棘突起骨折及び頸椎脱臼骨折は、一般的には、過伸展(生理的限界を超えて頸部が後方へ屈曲すること)でも過屈曲(同前方へ屈曲すること)でも発生し得るが、本件受傷のうち前者は、それに加えて局所に対する直接的外力(直達外力)が作用しなければ起こりにくい形態のものである。また、殴打されて停車中の加害車の車体に後頭部が当つた程度のことで、頸椎脱臼骨折を生じさせるような過屈曲の原因となる外力が加わるものとみることは困難である。
7 事故の翌日義夫を往診した三浦玄洋医師は、義夫の頸部(項部、第三、四頸椎の高さで中央よりやや右寄りの部分)に、幅の狭い約二センチメートル程度の、棒状の鈍器が当たつたときに生ずるような皮下出血斑を発見したが、その他には外傷は認められず、同日入院した東大阪病院においても頭部の外傷その他の障害は認められなかつた。
8 前記5のような受傷があつた場合でも、脊髄損傷が脊髄完全横断のごとき直接的損傷ではなく、局所の血行障害等による二次的なものであるときは、直ちに意識を失つたり、四肢麻痺が生じることはなく、短時間ではあるが一定の時間が経過した後にそうした障害が発現するところから、その間に受傷者が大声を出したり、他人に握みかかつたりすることは可能である。そして、義夫の後遺障害は、第三、第四頸椎脱臼骨折に起因する局所の血行障害によつて生じた脊髄損傷(脊髄及び関連脊髄神経根の器質的障害)であつて、二次的損傷であつた。
9 なお、前記のような出来事のあつた直後、加害車の右側バツクミラーは、直前の走行時とは異つた方向に向いた状態になつていた。また、当時、義夫の身長は、一六六・五センチメートル、第七頸椎までの高さは一三八・五センチメートルであり、加害車のバツクミラー上端までの地上からの高さは一二〇センチメートルであつて、義夫がのけぞるような姿勢で後向きに倒れかかれば、頸椎部分がバツクミラー上端に当たる位置にあつた。
以上の各事実が認められる。もつとも、右6の点につき、成立に争いのない乙第五四号証の二、第五五号証、第五六号証の二(いずれも弁護士法二三条の二に基づく照会に対する回答書)によれば、三名の整形外科医が義夫の頸部のレントゲン写真のコピーに基づいて第三、第四頸椎の脱臼骨折の存在を確認するとともに、それが頸部の過屈曲によるものである旨の意見を述べていることが認められるけれども、いずれも十分な資料に基づくものとはいい難い上、説得力ある根拠に乏しく、鑑定人大石昇平の鑑定の結果及び証人大石昇平の証言内容と比較対照しても採用することができず、また、成立に争いのない乙第五七号証(古村節男作成の鑑定書)によれば、法医学を専門とする一医師も右と同様の意見を述べていることが認められるけれども、専門外の医師の意見である点を措くとしても、その意見の内容は、専門医の編集した脊椎損傷に関する実用的ハンドブツクの記述に基づく知見を、自ら想定した本件事案(現場の状況、義夫らの行動等)にそのまま適用しただけのものであつて、これまたにわかに採用するに由ないものといわざるを得ず、しかも、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
しかして、以上に認定した事実に照し考えれば、甲証拠の方が自然かつ合理的で右認定事実との間にも矛盾がないので、より信用すべきものとみるのが相当であり、乙証拠中の、加害車が義夫に接触したり、義夫が加害車のバツクミラーに後頸部を打ちつけたりしたようなことはない旨の供述及び供述記載は、にわかに措信することができないといわざるを得ない。のみならず、右接触を否定する趣旨の菅原の供述ないし供述記載は、義夫と接触すればかなりのシヨツクを受ける筈であるが本件事故時にはそれを感じなかつたという程度のことを根拠とするものであるにすぎないところ、そのようなシヨツクの有無ないし程度は、接触の態様や程度いかんで左右されるものであるし、運転経験の長短等によつてもその感じ方は変わるものであるから、それ自体根拠の乏しい供述ないし供述記載というべきであり、また、菅原自身も、加害車が義夫とすれすれの所で停止したため、義夫がよろける等して当つたか接触したかもわからない旨捜査官に対し供述したこともある(乙第三一、第三五号証)ほどであつて、菅原が加害車を停止した際の状況(前記乙第四二号証によれば、菅原はその際、同乗車の末道とカーラジオを聞きながら談笑していたことが窺われる)からすれば、十分前方に注意を払つていなかつたことも推認されるので、その点からも、加害車と義夫とが接触していない旨の供述ないし供述記載は疑わしいものといわなければならない。また、乙第二六号証によれば、末道は、停車時には伝票整理等のため下を向いていたこともあつて、義夫の動静を見てはいなかつたことが窺われるから、これまた直ちにその供述記載を採用することはできないのである。更に、前記各証拠及び成立に争いのない丙第一号証によると、菅原は、本件事故後、交通事故による業務上過失傷害事件としてではなく、傷害事件として前記認定の4の事実を警察に届け出ており、昭和五二年九月九日に傷害被告事件(その公訴事実も右4の事実のとおり)として起訴され、有罪の判決を受けてこれが確定したことが認められるが、菅原が加害車を義夫に接触させたかどうかについてはつきりとした認識がなく、ただ義夫を殴打したことについてのみ明確に認識していること前記供述及び供述記載のとおりである以上、菅原が右のような行動に出たことは何ら不自然なことではないし、また、交通事故発生の事実と暴行の事実とは相排斥し矛盾する関係にはないのであるから、菅原の暴行行為があつたからといつて、加害車が義夫に接触し、義夫が加害車のバツクミラーに後頸部を打ちつけたという事実が存在しなかつたものといえないことは明らかである。したがつて、この点から、乙証拠を信用すべきものとし、甲証拠を疑わしいものとすることはできないというべきである。
これを要するに、甲証拠は措信するに足りるものと結論するのが相当であり、それによれば、義夫が後から加害車に接触され、請求原因1(一)の(2)のような経過でその後頸部を加害車の右側バツクミラーの上端に衝突させた事実を認めるに十分であるといわなければならない。
第二義夫の受傷、治療経過、後遺症及び本件事故との因原関係
一 成立に争いのない甲第三号証、第八号証の一、二、第一〇、第一一、第一三、第一四号証、第一五号証の一、二、第一六ないし第一八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二三号証、鑑定人大石昇平の鑑定の結果、証人三浦玄洋、同大平隆章の各証言及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
1 義夫は、本件事故後約二時間意識を失つたが、同日の夜から、四肢のしびれ、排尿の困難を訴えはじめ、翌二五日午後、往診した三浦玄洋医師により、右症状は頸椎の損傷によるものと診断されて、同日東大阪病院に入院した。
2 義夫は、東大阪病院大平隆章医師により、レントゲン所見等から、第二・第三頸椎棘突起骨折、第三頸椎脱臼骨折の傷害を受けているものと診断され、前同日以降昭和五二年六月二九日まで四九一日間同病院に入院し、薬物・理学療法、機能回復訓練を受け、更に同年七月一日から昭和五六年八月五日まで同病院に通院し(実治療日数一四九七日間)治療を受けた。
3 義夫には、当初、第三頸椎脱臼骨折に伴う症状として、四肢全部の麻痺がみられたが、右上下肢麻痺については改善がみられたものの、なお、左上下肢麻痺のほか右手指知覚鈍麻、両下肢筋力の低下等の症状が残存し、右症状は昭和五六年八月五日ころ固定した。義夫は、そのため、左下肢に補助装具を着用し一本杖を使用しても僅か二、三〇メートル程度の歩行しかできず、排尿に困難をきたし、排便も下剤を常用するが便秘がちで、排尿排便時には他者の介助を要し、椅子からベツドに移るにも自力で両下肢をベツド上に乗せることができず、ベツド上で自力で上半身を起こすこともできない状態となり、家庭内でほとんど寝たきりの生活を続けていた。
4 義夫は、右のとおり寝たきりの病床生活を余儀なくされたが、そのような生活のため次第に廃用萎縮としての身体各組織の退行変性が生じ、各臓器の機能低下がみられるようになり、それに加えて精神的ストレスにより持病であつた糖尿病の悪化をみるとともに、造血器官、腎臓、消化管に病変が生ずる等の経過をたどり、昭和六〇年七月二四日腎出血、消化管出血を原因とする心不全により死亡するに至つた。
なお、前記甲第一四号証中、義夫の退院日が昭和五二年六月三〇日と記載されている点は、前記甲第一五号証の一、二、証人大平隆章の証言により誤記と認められる。
以上のような義夫の後遺障害の内容からすると、神経系統の機能に著しい障害を残し、常に介護を要するものということができ、この状態は、自賠法施行令別表後遺障害等級表第一級に該当すると判断すべきである。
二 前記第一の二に認定したとおり、義夫は加害車に接触されたことにより後頸部を加害車の右側バツクミラーに衝突させたものであるが、その直後菅原から殴打され後頭部を加害車の右側後部フエンダー部分に打ちつけたことも前記認定のとおりであるので、果たして右後頸部をバツクミラーに衝突させたことのみが、右一のような義夫の受傷、後遺症の原因と認められるかどうかについて検討することを要するところ、前記第一の二の5ないし8において認定した事実関係からすれば、義夫が加害車に接触されたことによりその後頸部を加害車のバツクミラーに衝突させたことのみが右受傷、後遺症の原因であつて、第一の二の4に認定の菅原の殴打行為によつて義夫が後頭部を加害車の右側後部フエンダー部分に打ちつけたことはその原因ではないといわなければならず、加害車の接触と義夫の受傷、後遺症との間に相当因果関係のあることは明らかであるというべきである。
なお、証人大平隆章の証言によれば、義夫には従前から糖尿病の持病があり、そのことが末梢神経障害を招来している可能性は絶無ではないが、義夫の主な症状である左上下肢の麻痺自体は、中枢神経障害によるものであつて、義夫の症状と既往症である糖尿病との直接の関連は見出し難いから、この点が右認定を左右するに足りるものとはいえない。
そして、本件事故と義夫の死亡との因果関係についても、右一の4に認定した事実を前提として考えれば、それらの間に相当因果関係を肯定すべきことは明らかであるといわなければならない。
第三責任原因
被告会社が、本件事故当時加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがなく、前記認定によると、加害車の運行によつて、義夫に傷害を負わせ後遺障害を残存させたことになるから、被告会社は、自賠法三条により、後記損害を賠償すべき義務がある。
第四損害
一 義夫の損害
1 療養費
(一) 入院費 一三九万〇五〇〇円
前記認定のとおり、義夫は、東大阪病院に四九一日間入院したが、成立に争いのない甲第四号証の一ないし三一及び義夫本人尋問の結果によると、右入院期間中の昭和五一年二月二五日から同年一二月二九日までの三〇九日間同病院の個室に入つており、一日四五〇〇円の割合により室料差額を支出したことが認められるところ、前記認定の義夫の受傷内容、症状に照らせば、右期間は治療、介護等の必要上個室に入ることが相当であつたものということができるから、右室料差額合計一三九万〇五〇〇円は本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
(二) 入院雑費 二九万四六〇〇円
前記認定のとおり、義夫は、四九一日間の入院治療を余儀なくされ、経験則上右入院期間中一日あたり少なくとも六〇〇円の割合による入院雑費を要したことが認められるから、義夫の右入院雑費支出による損害は二九万四六〇〇円となる。
(三) 入院付添費 三二万七六八〇円
弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一ないし五六によると、義夫は前記入院中職業付添婦による付添看護を受け、その付添費として少なくとも二八六万三〇二〇円を支出したことが認められるところ、このうち二五三万五三四〇円が社会福祉機関から支給されていることは原告らが自認するところであるから、その差額三二万七六八〇円が本件事故と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。
(四) 左長対立装具、カラー代 二万七一〇〇円
成立に争いのない甲第六号証の二、三、第一九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六号証の一によると、義夫は、装具療法等の必要により、左長対立装具及びカラーを購入し、その代金(前者は二万二六〇〇円、後者は四五〇〇円)合計二万七一〇〇円を支払つたことが認められる。
2 逸失利益 三〇五〇万四八四五円
前記甲第八号証、第一五号証の一、証人大橋京子の証言、義夫本人尋問の結果によると、義夫は、昭和四年一月二日生れで、本件事故から二年ほど前に肝臓病で入院したことがあるほか糖尿病の持病があつた者であり、当時四七歳の男子であつたこと、昭和四九年末頃まで約一八年間関西鉄工所に勤務していたが人員整理のため退職し、それ以降失業保険等で生活していたが、昭和五一年三月からは山二鉄工所に再就職することが決つていたこと、再就職先での待遇はまだはつきりとは決められていなかつたが、義夫側としては失業保険からの給付金(月額約一三万円)より少し多ければよいと考えていたことが認められる。
右事実によれば、義夫は、本件事故当時無職無収入であつたから、本件事故により現実の減収は生じなかつたものであるが、就労が不能となるような健康上の障害はなく、一応就労の意欲も有していたものと認められ、再就職先も決つていたのであるから、再就職予定の昭和五一年三月以降について逸失利益を認めるのが相当であるが、義夫の従前の職歴、失業期間が一年以上に及んでいることから推測される就労に対する意欲の程度、再就職先における待遇の見込み等にかんがみると、逸失利益の算定基礎としては、昭和五一年度賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計の対応する年齢(四五ないし四九歳)の男子労働者の年間平均賃金の八割にあたる二五四万八一六〇円とするのが相当である。
ところで、前記第二に認定した事実によると、義夫は、本件事故による受傷により症状固定日までは全く就労することができず、その後も、後遺症によりその労働能力を一〇〇パーセント喪失しており、遂にはそのため死亡したものと認められるところ、同人は、本件事故に遭わなければ六七歳まで二〇年間就労することが可能であり、その間少なくとも年間二五四万八一六〇円(月平均二一万二三四七円、円未満四捨五入、以下同じ)程度の収入を得ることができたはずであり、また義夫の生活費はその収入の三割程度と推認されるから、これらを基礎として、月別ホフマン式計算法により年五分の割合により中間利息を控除し、義夫の逸失利益の本件事故当時の現価を求めると、次のとおり、三〇五〇万四八四五円となる。
(算式)
<1> 昭和五一年三月から同六〇年七月(死亡時)まで一一三か月
二一万二三四七円×九二・四三九一=一九六二万九一六五円
<2> 昭和六〇年八月から同七一年一月(六七歳)まで一二六か月
二一万二三四七円×〇・七×七三・一六六五(二三九か月のホフマン係数一六五・六〇五六から一一三か月のホフマン係数九二・四三九一を引いたホフマン係数)=一〇八七万五六八〇円
<1>と<2>の合計額 三〇五〇万四八四五円
3 慰謝料 一四〇〇万円
本件事故の態様、義夫の受けた傷害の部位・程度、治療経過、後遺症の内容・程度、症状固定後の生活状況、社会復帰することもないまま五六歳の生涯を閉じたこと等諸般の事情を斟酌すると、義夫の被つた傷害、後遺症及び死亡に基づく精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は一四〇〇万円とするのが相当である。
4 弁護士費用 二五〇万円
弁論の全趣旨によれば、義夫が弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任したことは明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、認容額等の諸般の事情を考慮すると、事故と相当因果関係のある弁護士費用は二五〇万円とするのが相当である。
5 原告らによる権利の承継
原告京子が義夫の妻、同初都世がその長女であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により義夫には他に相続人はいないことが認められるから義夫の死亡により、原告らはそれぞれ法定相続分に従い、義夫の右損害賠償請求権(四九〇四万四七二五円)を相続によつて各二分の一(二四五二万二三六二円、この場合のみ円未満切捨て)を承継したものである。
二 原告両名固有の損害 各一〇〇万円
原告らと義夫との身分関係は右のとおりであるところ、本件事故により義夫の受けた後遺症の内容・程度、症状固定後の生活状況、原告らが義夫に対してした介助の内容・期間、退院後の介助に要した費用については請求してはいないこと等諸般の事情を斟酌すると、義夫の後遺症及び死亡により原告らの被つた精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は各一〇〇万円とするのが相当である。
三 損害の填補
義夫及び原告らが、菅原側から見舞金として一〇万円、入院付添費として四万二〇〇〇円、和解金の一部として四万円の支払を受けたことは原告らにおいてこれを自認しているところ、原告らは、右合計額一八万二〇〇〇円を法定相続分に従い、各二分の一に相当する九万一〇〇〇円の限度で損害の填補を受けたものというべきである。
そうすると、被告会社が原告らに対し賠償すべき本件損害の額は、それぞれ一の5及び二の合計額である二五五二万二三六二円から右填補額九万一〇〇〇円を控除した残額二五四三万一三六二円であることになる。
第五結論
以上によれば、原告らの本訴請求は、各金二五四三万一三六二円及びうち弁護士費用相当額を控除した各金二四一八万一三六二円に対する本件事故の日である昭和五一年二月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、これを認容し、その余の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤原弘道 加藤新太郎 浜秀樹)